愛を求めて

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県外へと出て、就職をしたわけですが。まあ研修中は八つ当たりされて怒鳴られたりで泣きながら仕事してました。意外と私ってタフなのかもしれない。まあじゃなきゃとっくに死んでるよな。身体は丈夫なんですよ!すごく!あまり風邪ひかないし、健康で。というのも、まあネトゲの仲間がいたから頑張れていたと思います。

高卒で就職して19歳、その当時私は恋人が欲しいと思っていました。結局のところ、親からもらえなかった愛情をコイビトから欲しいと思っていたんでしょうね。

そして彼氏なんてすぐできると思っていたのですが、まあリアルで異性なんてどう接したらいいかわからなくて。何を話したらいいかもわからなくて。服を買ったこともなかったので、ちぐはぐな服着てたな~って今は思います。雑誌読んで勉強しましたよ。ただとくかく相手を好きというより、彼氏がほしいというより、愛されたいって気持ちがすごく大きかったです。会う約束をして、デートをして、告白してという手順で2人に振られました。まあそうだよねー!そのうち私は仲良くしていたギルドから孤立していって、居づらくなって私はネトゲをそのまま引退しました。告白したら翌日皆知っていたという・・・そんなんで私は喪女をこじらせ続け、今現在も彼氏いません!職場で優しくされたら普通に惚れちゃうぐらいです。

 

最初に好きになった職場の人は彼女がいたので無理でした。でも優しくて、2人で一緒に帰った日はずっとドキドキしていてつらかったですね。懐かしいです。

その次に好きになった人とは今でも交流があります。ただ、私がその相手を好きだったときに、その相手にも好きな人がいて。そのとき私はちょうどいいキープというか、遊び相手だったんでしょうね。あ、身体の関係ではないですよ、まあ扱いが雑でした。ただそこそこ仲良しになっていたと思って、よく食事にも行っていたんです。まあ好きな人のことばかり話されたけれど。なのでそのうち私は気持ちが薄れてしまって、どうでもいいと思ったのにどうやら振られたらしく、現在は私メインのようです。付き合う気はないので、私にとってはもうどうでもいい人になりました。

 

そうやって誰かを好きだった頃もあったのですが、今誰かを好きになるという気持ちがほんとになくなってしまいました。理由はわかりません。性欲というのもないし、親からの愛情は恋人からもらえないってわかってきたからなのでしょうか。

家族への感情

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今も引きずってるんだけど、すごく恥ずかしいことに私には学歴コンプレックスがあると思う。普通に大学へと進学した同級生や兄が羨ましくてたまらないのだ。というか、今の時代大卒が普通っていう風潮あるよね。

兄が私に構わず進学したという事実も割と私に暗い影を落としているのだけれど、まだ本人とはそのことに触れたことはなくて。羨ましいのも当然あるし、私の事は考えてくれなかったのかな。という気持ちもあって聞いてみたくても怖くて聞けない。もし兄が大学に行かなければ私が進学できたのに。父親は兄の進学でまたかなりの借金をしたと母親からきいたし、高卒で働き始めたころ兄はまだ大学生だったので、少し学費を援助してくれと電話きたときは本気で死にたくなった。まあそのときお金めっちゃ使ってほしいもの買ってたからお金なくて断ったんだけど。兄は知らないだろうな・・。

 

よくこのことをよく検索します。兄弟が進学して、自分は・・てやつを。しかし上の兄弟が進学せずに下に譲ってーという話題ばかりでてきて、私のような立場の人っていうのが出てこないんですよね。貧乏で上の兄弟に進学されたら、いくら特待生でも生活費も出せない家庭は厳しいよ。すごく頭がいいわけでもないから・・私。奨学金で進学できる!っていうのあるけれど、ほんと一銭もない借金だらけの家庭には無理すぎる。まず私にそこまでの気力も、人生への期待も無かったから。行けたとしても、何も悩まず進学できた周りとの葛藤が始まるんだろうな。それにすらたどり着けなかったわけですけどね。

 

なので「親に大事にされなかった自分」が心の底にあって、虚しくて悲しくてたまらないのですよ。子供の為に、と親は一定の生活水準を目指してはくれないのだろうか。それって、私自身に価値がないから?大事じゃないから?どうでもいいの?いつも一人で、寂しかった過去。今では心がおかしくなったのか、寂しいという感情はわからなくなりました。

流れのままに県外へ

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将来への希望なんてものはなく、とにかくここから出るという意志で私は就職をした。

現実の全てがどうでもよかった。どうなってもいいと思った。

更に兄がなんと神奈川の私立大学へと進学してしまったので私につかえる金なんてなかったのでした。私も兄やギルド内メンバーのように、大学へと進学をしたかったのだが親に無理、と言われてしまい残された手は、県外就職という選択肢だった。

何もやりたいこともなかったので、寮があるところを選んで就職した。接客業。とにかく家を出て父親から離れてギルドメンバー皆の近くへ・・という考えでいっぱいだった。

前にも書いたけれど、結局母親は離婚してはくれなかった。もし離婚していたら、私は県内で就職して母親と一緒に暮らしていたと思う。それは小さいころから考えていた事だったから。お母さんさえ居ればいい、とそう思っていたから。本当にそう思っていた。しかし母親はそう思ってくれなかった。それが今でも死にたくなるほど悲しい。後に母親も父親に数百万貸していたと知り、私の学費は出せないのに父親には出せるのかと一層悲しくなったものだった。

 

私が県外へと出て数年後、今から5年くらい前かな。両親は別居することになった。祖父が亡くなったりと色々揉めたみたいだけど、今更離婚しても私には遅いよ!っていう。その後私が一人暮らししている1Kアパートに母親が住もうとしたりしたけど、もう母親には冷たい態度しか取れなかった。どうしてあのとき離婚してくれなかったのか。裏切られた気持ちでいっぱいの私は、なぜか私におどおどとした態度しか取らない母親にショックを隠し切れず、それと同時に怒りが湧いた。そのとき母親は精神的に不安定だったみたいで今は戻ってきてはいるが、まだなにかよそよそしいというか、態度が違う。毅然とした母親という態度をとってほしいものだ。私は自分の居場所が無くて県外に出ていったのに、それを未だにわかってもらえないのが悲しい。昔のことを話しても、「自分は貧乏な家庭を一人でパートで働いて支えた」という思いが強いみたい。離婚して母子家庭になった方が、よっぽど楽な暮らしできたと思うよ。私は望んでなかったのに、誰のために頑張ったのか?と言いたいが今言うとメンタル面が心配されるので、これはもう言えないかな。私だってお母さんが大好きで大好きでずっと一緒に居たかったのに、母親は私ではなく父親を選んだのだ。そう思って私は県外へと出たというのに。

楽しいネトゲ生活

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まあ高校時代はほぼネトゲ三昧でした。中学からの友達と一緒のクラスだったのですが、メールで嫌がらせをしているという疑いがかけられてシカトをされて、学校生活は散々だったと思います。地味でおとなしい、変わらず内気な性格でした。

 

なので、ますますネトゲの世界に入り浸ります。その頃はもうそこそこレベルの高いプリーストになってギルド(ゲーム内のチームみたいなもの)に所属しました。ラグナロクオンラインは結婚システムというものがあり、♂キャラとゲーム内で結婚をしたりしたのですが、とにかく私は寂しさを埋めたくてゲーム内で浮気をしたり、相手の事で気分を損ねたらフィールド内でかくれんぼしたりとかなりの痛いキャラでした。かまってちゃんってやつ?この頃から、かなり「愛されたい」という感情がありました。そして私は、関東圏内の友達同士で作っているギルドに行き着きます。私だけ地方民。

なんとみんな私と同い年なのでした。私の高校は女子が9割というほぼ女子高というものだったので、リアルでは異性と話すなんて無理なくせにネトゲ内では冗談言い合えるという、なかなか居心地のいいギルドでした。

 

しかし現実は、ネトゲばっかりやっている高校生。親は不安になったのか、ネトゲをしていると文句ばかり言うようになりました。きっと、引きこもりになると考えたのでしょうね。いや、こんな家に引きこもるわけないじゃないか。両親は驚くほど自分たちを「普通の家庭」と認識している。そして思考もその「普通の家庭」に当てはめている。こんな貧乏で服も買ってもらえず、日々父親が暴れるような家庭が普通だというのか。しかしいくら怒鳴られても私は、ネトゲを辞めませんでした。ネトゲこそが私の世界だったから。もしあのときネトゲをしていなかったら、私はもうとっくに絶望して自〇していたかもしれない。ネトゲという現実逃避があったからこそ、私は生きていられたのだと思う。

無気力な学生時代

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そんな決意をしたと同時に、母親に離婚を提案します。「一緒に家をでて、祖父母の家で暮らそう」と。この提案は小6~高校3年生まで続いたのですが受け入れてはもらえませんでした。毎日母親に離婚しよう、出ていこうと言い続けました。母親は「そのうちね」「そうだね」と答えてくれたので、私は信じていたのですが・・

そう言い続けていたので、父親に怒鳴られたり殴られたりする度に私の中に期待が生まれては消えていきました。「これで母親は離婚をしてくれる」という期待を。しかし、その期待は裏切られてしまい、今は母親のことは信用できなくなってしまいました。あの時、母親に期待せず一人で家出すればよかった、と後悔しています。

そんなことばかりしていて、私は正直勉強というものをあまりしませんでした。部屋も家が傷んでいるのか湿気がひどくカビだらけで、アトピーもひどくなる一方でした。毎日学校から帰ってはすぐに眠りました。妄想の世界は楽しいからです。

 

そんな中学生時代、兄は毎日ネトゲをしていて、それがすごく楽しそうでした。

ラグナロクオンライン、というネトゲ、今もありますよね。私はその当時パソコンをもっていなかったのでやれなかったのですが、いつも兄の部屋に行ってはゲームしている様子を眺めていました。中学生というのもあり、受験に影響すると言われていましたが兄がアカウントのうちの1キャラ分のスロットを私にくれました。しかし兄は受験に失敗してしまい、月謝の高い私立の高校に行くことになってしまったのでますます家は貧乏になってしまいました。

 

ネトゲの世界は魅力で溢れていました。まず、家が貧乏だってわからない。みんなスタートが同じで、レベルが上がれば強くなれる。服を買ってもらえず着る服がなかったので、出かけられない私にネトゲは天国のようなものでした。始めた当時は砂漠でひたすら赤い草を叩いて赤ハーブを拾うだけでしたが、それだけでも楽しかったのを覚えています。兄がパソコンを使っている間はネトゲはできないので、私がROをやるのは兄が寝静まった夜~早朝でした。装備無しアコライトで、厨房で、まだキーボードが打てず、満足にチャットも出来なかったのですが色々な人が話をしてくれました。それも親にバレてしまったけれど、なかなか勉強には身が入りませんでした。将来の自分というのが考えられず、もうだめになったら死ねるし、という考えのまま、私は高校受験を迎えました。

ランクがそんなに高くない高校を受験したので、私は合格しました。市立高校。合格したらパソコンを買って、と約束をしたのですが、まあ貧乏なので無理でしたよね。それでもお願いして、なんとか高校1年生の私は自分のパソコンを手に入れました。

 

 

 

幼少期の記憶4

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友達もいなくはなかったのですが、ただ一緒にいてぼっち防止になってたぐらいですかね。その子も親が公務員だったので裕福で、いつも新しい服を着ていて羨ましかったです。その子は気が弱く、いじめっこには逆らえない感じでしたね。

 

その当時、私は夜中に無意識に動き回っていると母親に言われました。ほんと自覚はないんですが。夢遊病というやつなのでしょうか。それもあり、私はそのいじめっこの事を考えないように必死でした。無意識に彼女に危害を加えてしまうかもしれない、と考えていたからです。

眠りに就くとき、自分の好きなゲームのキャラクターを考えようと意識をするうちに、眠るのが好きになりました。というのも、頭の中で思い描いたキャラクターをアニメのように動かせるようになったからです。最初はうまくいかず、キャラクターのイメージが固定できなかったのですが、練習するうちに頭の中で自在にキャラクターを動かせるようになりました。今でも妄想に役立っています。寝るの楽しい。目をつぶると妄想の世界が広がるので、その世界に浸っているうちにあっという間に寝てしまいます。

 

しかし現実は残酷で。父親からの暴力や、貧乏、いじめっこからの嫌がらせ悪口など様々なことが起こっている中、私は自〇を決意しました。ブログって伏字にしなくても大丈夫かな?すいませんわからなくて。

 

ただ、親や兄弟に迷惑をかけてしまうのが悩みでした。自〇の道具は準備できていたのに。無気力で毎日過ごす中、私はある考えにたどり着きます。

小6の今、自〇したことにしてこれからの人生は消化試合として生きよう。と。

そう考えた途端、気持ちがすごく楽になりました。もし事故だとかで死ぬ運命だったらそのまま受け入れて。この現状の先、生きてみてそれでも地獄だったら終わりにしようと。将来家を出て、環境が変わってもだめだったら、と、

幼少期の記憶3

続き

友達も多くはなかったので、家で兄とゲームをして過ごしていた小学生時代。スーファミからプレイステーションになって・・FF7とか流行っていた時期ですね。兄とはよく話が合うので、好きだったと思います。3歳年上なのですが、あまり私が近づくと兄が同級生にからかわれたりしていたのでそれが嫌で家の外では話をしなかったのを覚えています。部屋も一緒だったので、スーファミカービィで2Pプレイとかやったりね。兄はゲームが上手で、パソコンも扱えるので純粋に尊敬していました。

 

記事に書いている祖父母、とは母親の方の親なのですが、祖父と父親が仲良くないというのが根底にありまして。祖父母の家に行ってそれがバレると、父親が怒って怒鳴ったり叩いたりするんですよ。なぜ仲が悪いのか、というのも父親が祖父母から借りたお金を返さなかったかららしいですけど。でも祖父母お金あるのでね。私は会いたかったです。お小遣いくれるし優しいからね。

 

そうやって仕事がうまくいかない借金まみれの父親が怒鳴ったりする日々の中、小5になった私はイジメられるようになってしまいました。

なぜか、というと私と同じ名前の子がクラスにいて、気が強くて目をつけられてしまったからです。クラスではその子は名前+ちゃん付け、私は〇〇さん(名字)で呼ばれるのが暗黙のルールになりました。

貧乏だったので服も流行りものではなく、それでいじられたりアトピーでいじられたり、少しでも変な事をするとすぐに取り巻きが話にいって笑いものにされました。学校に行くのがほんと地獄でした。この頃から、自殺をしたいと考えるようになります。