流れのままに県外へ

続き

将来への希望なんてものはなく、とにかくここから出るという意志で私は就職をした。

現実の全てがどうでもよかった。どうなってもいいと思った。

更に兄がなんと神奈川の私立大学へと進学してしまったので私につかえる金なんてなかったのでした。私も兄やギルド内メンバーのように、大学へと進学をしたかったのだが親に無理、と言われてしまい残された手は、県外就職という選択肢だった。

何もやりたいこともなかったので、寮があるところを選んで就職した。接客業。とにかく家を出て父親から離れてギルドメンバー皆の近くへ・・という考えでいっぱいだった。

前にも書いたけれど、結局母親は離婚してはくれなかった。もし離婚していたら、私は県内で就職して母親と一緒に暮らしていたと思う。それは小さいころから考えていた事だったから。お母さんさえ居ればいい、とそう思っていたから。本当にそう思っていた。しかし母親はそう思ってくれなかった。それが今でも死にたくなるほど悲しい。後に母親も父親に数百万貸していたと知り、私の学費は出せないのに父親には出せるのかと一層悲しくなったものだった。

 

私が県外へと出て数年後、今から5年くらい前かな。両親は別居することになった。祖父が亡くなったりと色々揉めたみたいだけど、今更離婚しても私には遅いよ!っていう。その後私が一人暮らししている1Kアパートに母親が住もうとしたりしたけど、もう母親には冷たい態度しか取れなかった。どうしてあのとき離婚してくれなかったのか。裏切られた気持ちでいっぱいの私は、なぜか私におどおどとした態度しか取らない母親にショックを隠し切れず、それと同時に怒りが湧いた。そのとき母親は精神的に不安定だったみたいで今は戻ってきてはいるが、まだなにかよそよそしいというか、態度が違う。毅然とした母親という態度をとってほしいものだ。私は自分の居場所が無くて県外に出ていったのに、それを未だにわかってもらえないのが悲しい。昔のことを話しても、「自分は貧乏な家庭を一人でパートで働いて支えた」という思いが強いみたい。離婚して母子家庭になった方が、よっぽど楽な暮らしできたと思うよ。私は望んでなかったのに、誰のために頑張ったのか?と言いたいが今言うとメンタル面が心配されるので、これはもう言えないかな。私だってお母さんが大好きで大好きでずっと一緒に居たかったのに、母親は私ではなく父親を選んだのだ。そう思って私は県外へと出たというのに。