無気力な学生時代

続き

そんな決意をしたと同時に、母親に離婚を提案します。「一緒に家をでて、祖父母の家で暮らそう」と。この提案は小6~高校3年生まで続いたのですが受け入れてはもらえませんでした。毎日母親に離婚しよう、出ていこうと言い続けました。母親は「そのうちね」「そうだね」と答えてくれたので、私は信じていたのですが・・

そう言い続けていたので、父親に怒鳴られたり殴られたりする度に私の中に期待が生まれては消えていきました。「これで母親は離婚をしてくれる」という期待を。しかし、その期待は裏切られてしまい、今は母親のことは信用できなくなってしまいました。あの時、母親に期待せず一人で家出すればよかった、と後悔しています。

そんなことばかりしていて、私は正直勉強というものをあまりしませんでした。部屋も家が傷んでいるのか湿気がひどくカビだらけで、アトピーもひどくなる一方でした。毎日学校から帰ってはすぐに眠りました。妄想の世界は楽しいからです。

 

そんな中学生時代、兄は毎日ネトゲをしていて、それがすごく楽しそうでした。

ラグナロクオンライン、というネトゲ、今もありますよね。私はその当時パソコンをもっていなかったのでやれなかったのですが、いつも兄の部屋に行ってはゲームしている様子を眺めていました。中学生というのもあり、受験に影響すると言われていましたが兄がアカウントのうちの1キャラ分のスロットを私にくれました。しかし兄は受験に失敗してしまい、月謝の高い私立の高校に行くことになってしまったのでますます家は貧乏になってしまいました。

 

ネトゲの世界は魅力で溢れていました。まず、家が貧乏だってわからない。みんなスタートが同じで、レベルが上がれば強くなれる。服を買ってもらえず着る服がなかったので、出かけられない私にネトゲは天国のようなものでした。始めた当時は砂漠でひたすら赤い草を叩いて赤ハーブを拾うだけでしたが、それだけでも楽しかったのを覚えています。兄がパソコンを使っている間はネトゲはできないので、私がROをやるのは兄が寝静まった夜~早朝でした。装備無しアコライトで、厨房で、まだキーボードが打てず、満足にチャットも出来なかったのですが色々な人が話をしてくれました。それも親にバレてしまったけれど、なかなか勉強には身が入りませんでした。将来の自分というのが考えられず、もうだめになったら死ねるし、という考えのまま、私は高校受験を迎えました。

ランクがそんなに高くない高校を受験したので、私は合格しました。市立高校。合格したらパソコンを買って、と約束をしたのですが、まあ貧乏なので無理でしたよね。それでもお願いして、なんとか高校1年生の私は自分のパソコンを手に入れました。