幼少期の記憶2

続き

小学校にあがっても、内気な性格もあり友達はあまり出来ませんでした。家に居て、母親の目が届くところでゲームやジブリアニメを見ている時間が一番心が安らいだと思います。この頃はまだ庭がついた一軒家に住み、母親も専業主婦。父親に怯えながらも学校には通っていました。

 

少3か4の頃、父親の会社が倒産しました。借金を背負い、住まいもシャワー無しのぼろ貸家へ。この時に母親が離婚すればよかった、と今でも言いますがなぜそうしなかったのでしょうか?理解できません。

引っ越した当時はわからなかったけれど、友達に、お前んち和式トイレかよwと言われたり家に呼んだら二度と遊びに来なくなる友達をみて、気づきはじめました。みんなと違うということに。

なかなかおもちゃも買ってもらえず、いつも母親にあれがほしい、これがほしい、と言っていました。祖父母はそこそこ裕福だったので、年に1回、祖父母に誕生日プレゼントを買ってもらえるのが楽しみでした。ただ、欲しいものがありすぎて毎日おもちゃ屋のチラシをずーーーっと眺めていましたね。クリスマスも、父親(サンタさん)にお手紙を書くとお金があるときはプレゼントが届きました。ゲームソフト、とかそんなに高いものではなかったですが、朝起きて枕元にプレゼントがないあの悲しみはなんとも心に残りますね。結局、兄がプレイステーションを買ってもらった年を機に、手紙を書いてもプレゼントが来ることはありませんでした。周りの友達は、ラジカセに好きなアーティストのCD、MDプレイヤー(懐かしい)とたくさんもらっていて、「1つじゃないのかよ・・・」と絶望しましたね。自分はうそをついて、手紙に書いたゲームソフトをもらったことにしました。年明けに祖父母にもらったお年玉で、自分で泣きながら買いましたね。周りの友達が割と裕福で、話を合わせるので必死だったなぁ。家に遊びに行くとおやつハーゲンダッツだし。